● 巻頭言 ●






最近このような巻頭言を書く機会が増えた。巻頭言に限らず、「編集にあたって」や「序」なども書くことが多い。これは原稿だけに限った話ではない。種々の研究会、講演会、懇親会における挨拶もしかりだ。これは私が単に年をとってきて、このようなことを依頼される立場になったということだけではなさそうだ。思い出してみると、10年前からこれに近いことをして来た。最近、回数が増えたので、このような印象を強くしただけのようだ。回数が増えた理由は言うまでもないであろう。バイオインフォマティクスの隆盛に伴って、これに関連した出版物、会議、講演会などが急増したからである。

さて、このようなことを書いたのは、私が10年前から偉かったということを言いたいためではもちろんない。また、若い人がだらしないから、私がいつまでもこんな仕事を引き受けないといけないのだということを言いたいのでももちろんない。これを言うなら論理が逆であろう。むしろ、若い人が頑張っているから私は偉そうにしていられるのだから。

しかし、巻頭言を書いたり、会議で挨拶したり、講演や原稿を頼まれたりしていると、何となく自分が偉くなったような気がしてくるから不思議だ。でも一方で何かが違うぞという気がして、なぜか素直に喜べない。その理由は、「たまたまバイオインフォマティクスの発展期という時代に遭遇して、たまたまそういう立場にいたということに過ぎないではないか。バイオインフォマティクスが発展し重要性が高まったことを、あたかも自分がそれに対して何か大きな貢献をしたかのように錯覚してはいけないのではないか。」と思う気持がどこかにあるからである。これは私だけでなくひょっとしたらわが国におけるバイオインフォマティクスのコミュニティ全般にもある程度当てはまるのではないか。    

新しい学問の黎明期や勃興期には、われこそがフロンティアを切り拓くという大いなる情熱や大いなる自信(じつは多くの場合勘違いであるが)がなくてはならないが、バイオインフォマティクスも、その実態はともかくとして、ここまで発展普及してくると、もっと言えばここまで過熱してくると、そろそろ冷徹な目でながめることが必要になってきたように思う。

研究者であれば、バイオインフォマティクスはそもそもどういう学問であるのか、それに対して自分はこれまでどのような寄与をしてきたのか、そしてこれからどのような貢献ができるのか、また、そのためには今後どのような技能や知識を身につけなければならないのかなど、冷静な目で自分の足下をそして未来を見つめる時期に来たように思う。また、企業人であれば、(企業活動については門外漢であり、間違っているかも知れないが)バイオインフォマティクスはこれまでにどの程度の効率化ひいては利益をもたらしたのか、また、今後もたらす可能性があるのか、そのためにどのような投資や技術開発をこれからなすべきか、などを落ち着いて見積もることがいま求められているのではなかろうか。

うまくは表現できないが、最近、暖かくてふわふわした空気がバイオインフォマティクス全体を取り巻いていて、その中にいると、大変に心地よく感じられる。周りからちやほやされて何だか自分までが偉くなった気になってくる。いつまでもこのような感情に浸っていられるならそれはそれで幸せかもしれないが、このようなバブルとも言える状況はそうは長続きはしないのではなかろうか。そうなってからいろいろ考え始めたのでは手遅れになりはしないだろうか。決して、バイオインフォマティクスへの期待や若い人達の情熱に水を指すつもりはないが、さらなる発展のために、たまには日々の忙しさから抜け出し、走り回るのをやめて少し立ち止まってみてはどうだろう。そして僭越ではあるが上に述べたことをちょっと内省してみてはいかがだろう。これは全力疾走をちょっと中断するだけだから一見簡単そうに思えるがじつは相当つらい作業になると思われる。しかし、このようなつらいことを乗り越えることを通してしか真に新しい学問は生まれないように思う。

高木 利久(東京大学)




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