感染症研究とバイオインフォマティクス

オーガナイザー:中川草、伊藤公人

 感染症に関する研究は実験的な手法に加えて、塩基配列や立体構造解析、そして集団での感染動態を調べるための数理モデルなど、様々な手法を組み合わせた学際的な研究分野である。特に近年のシーケンス技術の発展を受けて、大量塩基配列や感染症が生じている現地でシーケンスなど、感染症研究においてバイオインフォマティクスに関連する研究領域が大きく広がっている。今回会場となる北海道大学は医学部、獣医学部などに加えて人獣共通感染症リサーチセンターを有し、様々な研究室で幅広い感染症研究を行っている。本セッションでは、様々なアプローチで感染症研究を行っている研究者に、これまでの研究の歩みとこれからの感染症研究のために必要なバイオインフォマティクスについて意見をいただくための講演を依頼した。本セッションはこれまで感染症研究に携わっていなかった方にもぜひ参加していただきたいと考えている。
エボラウイルスの感染効率に関与するアミノ酸置換の発見とその生物学的意義の考察
中川草(東海大学医学部)・15分
2013年12月にギニアで始まったザイールエボラウイルスのアウトブレイクは近隣のシエラリオネ、リベリアなどの国に広がり、全世界で28,616人の感染者(11,310人は死亡)となった。HOから感染の終息が宣言されたが、その後も散発的に感染者が報告され、今後もエボラウイルスによるアウトブレイクが起こる可能性は少なくない。我々はエボラウイルスの膜表面にある糖蛋白質の配列の分子進化を行い、2つのアミノ酸置換を引き起こす塩基変異(A82V, T544I)が正の淘汰を受けていた可能性を示した。そのアミノ酸置換を組換え糖蛋白質を用いたシュードタイプウイルス感染実験から2つの変異とも感染効率上昇に関与することを明らかにした。そのアミノ酸置換についてインシリコ立体構造解析でその影響を予測し、宿主細胞にエボラウイルスが感染するメカニズムに関して考察した。本研究について、海外の類似研究と比較しながら報告したい。
系統動態モデルによる自然宿主探索
西浦博(北海道大学大学院医学研究科)・25分
自然宿主(リザーバ)とは感染病原体を自然界で保有し、伝播を維持している動物宿主のことを指す。これまで、疫学、実験医学、分子進化学の知見を利用して自然宿主の探索が行われてきたが、自然宿主の定義が明確であるにも関わらずその探索手段は自由な発想に基づいて検討されており、その探索手法と自然界の伝播動態に関する理解や分類が標準化されずにきた。本研究では疫学データと病原体の分子進化データの両方を用いて自然宿主を探索する新規手法を紹介する。これまでに単純に祖先を自然宿主とするよう勘違いしがちであった系統遺伝学の理解を改善する一助とする。
2つの現場から:ダニ媒介性ウイルスの網羅的探索と鳥インフルエンザの診断
松野啓太(北海道大学大学院獣医学研究院)・25分
マダニによって媒介されるウイルス感染症が世界各地で問題となっている。日本においても、重症熱性血小板減少症候群ウイルス(SFTSウイルス)、ダニ媒介性脳炎ウイルス(TBEウイルス)感染による死亡例が報告されている。一方で、既に問題となっている病原体以外のウイルスについては、ウイルスの遺伝的多様性やマダニ中での低いウイルス力価などが障壁となって、ほとんど研究されていない。そこで、先回りでダニ媒介性ウイルス対策を行うために、マダニにおけるウイルス叢の網羅的探索を試みた。日本国内外でマダニ約3千個体を採集し、複数の手法でRNAウイルスを検出したところ、いずれにおいても新規ウイルスを発見することができ、様々なマダニ種に多様なウイルスが浸潤していることが明らかとなった。本講演では、こうした新規ウイルス探索の試みのほか、2016-2017年冬季に日本各地で発生した高病原性鳥インフルエンザについて、診断の現場では何が行われていたかをご紹介したい。
病原体集団遺伝学と感染症数理疫学の融合
伊藤公人(北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター)・25分
感染症の基本再生産数(R0)は,免疫を持たない感受性集団において1人の感染者が生み出す2次感染者の数の平均値として定義される。R0は,ワクチン政策および検疫などの感染症制御法の策定に必要であり,感染症流行時にR0を迅速に推定することは,感染症疫学における最も重要な任務の一つである。演者らのグループでは,病原体の塩基配列をTajimaのDを用いて集団遺伝学的に解析することにより,それらが引き起こしている流行のR0を推定する技術を開発した。2009年のパンデミック時にブエノスアイレスで収集されたインフルエンザウイルスの塩基配列を本法で解析した結果,基本再生産数R0は,1.55(95%信頼区間:1.31~2.05)であったと推定された。このR0の値は疫学的に推定されたR0の値とほぼ一致し,本法がR0の推定に有効であることと考える。